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ヘンデルを もっと楽しむ♪
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== 2009年はヘンデル没後250年 ==
「メサイア」「水上の音楽」だけじゃない、ヘンデルをもっと楽しむための情報と読み物をお届けします♪
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ヘンデルと2人の「スミス」

2009/11/21 23:39
先日、NAXOSから出ている、ヘンデルのオラトリオ「トビト」(Tobit)というのを聴きました。
実はこれ真性ヘンデル作品ではなく、ヘンデルの死後、ジョン・クリストファー・スミスなる人物が、ヘンデルのオペラやオラトリオから、アリアや合唱曲を寄せ集めて再構成したものです。

このスミス氏、ヘンデルの生涯について書いてある文には、必ず出てきます。
今まで名前は知っていても、彼についてあまり深く考えたことがありませんでした。
しかし、「トビト」を聴いてあれこれ調べながら、これは一文書いておかねば!と思ったので、今回は彼のお話です。

まず、最重要ポイント・・・
スミスは2人いる!(爆)

まず1人目のジョン・クリストファー・スミス(1683〜1763)は、(おそらく)ハレ大学時代のヘンデルの友人で、元のドイツ名をヨハン・クリストフ・シュミットと言います。
その後彼はウール商人となり、結婚して子供もいましたが、1716年ロンドンから一時帰国したヘンデルに「写譜家兼秘書として、自分と一緒に働かないか」と説得され、ロンドンに行きます。

その彼が、ロンドンに呼び寄せた家族の中にいたのが、同姓同名の長男(1712〜1795)です。
この父子は、ロンドンで暮らすうち、2人とも名前を英国風にジョン・クリストファー・スミスと変え、2代に渡ってヘンデルに仕えたのです。
以下、「スミス父」「スミス子」と書いて区別します。

まず、スミス父ですが・・・
ヘンデルにどう説得されたかは知りませんが、すでに仕事も家庭もあるのに、良くロンドンに行ったと思います。
しかも、それほど音楽とかかわりがある経歴でもないのに?
まあ「写譜」は、必ずしも音楽の才能を必要とはしませんが。
秘書(今風に言えばマネージャー?)としての、実務的能力を見込まれたのかもしれませんね。

ヘンデルは、単身ロンドンに乗り込んで孤軍奮闘・・・みたいな印象がありますが、このスミス父の存在を考えると、そうでもない気がします。
仕事上の重要なパートーナーを、ロンドンで現地調達せずに、わざわざ遠い母国の友人を呼びよせたのは何故か?
やっぱり、1人では淋しかったんだと思います・・・。

他の人を交えない場では、おそらく2人はドイツ語で、気のおけない会話をしたはずです。
異国での生活、我侭な歌手、ゼニカネの心配、ライバルの出現などなど、一時も気の休まることのない環境の中で、祖国の学生時代の友人ほど、心安らぐ存在はなかったでしょう。

さて一方、幼少期ロンドンに来たスミス子は、少し大きくなってヘンデルに鍵盤楽器を習うようになります。
独身で子供のいないヘンデルは、公私共に大切な友人の息子を、自分の息子のように可愛がり、熱心に教育した・・・かもしれません。
スミス子はその後、ペープシュ(1667〜1752)やロージングレイヴ(1688〜1766)らにも師事し、まず音楽教師として有名になります。

スミス子は父よりも、より音楽的な面でヘンデルの片腕として活躍し、ヘンデルの晩年、特に失明後のオラトリオ公演は、事実上このスミス子が指揮をしていたようです。
さらに最晩年のヘンデルの仕事、伊語オラトリオ「時と真理の勝利」の英語版(1757)も、口述筆記などスミス父子の協力なくしては、できなかったことです。
ヘンデルの死後、毎年恒例の「メサイア」公演を指揮したのも、スミス子です。

スミス父にはヘンデルの遺言により、作品の手稿譜が贈られ、それらはスミス父の死後、スミス子の手に渡りました。
冒頭に書いた「トビト」は、譲り受けた楽譜を元に、スミス子が台本作者モーレルと協力して構成、レチタティーヴォを自ら作曲し、実際に演奏もしたオラトリオです。

・・・と見ていくと、スミス父子は2代に渡り、ヘンデルと非常に安定した関係を保ち、陰ながら多大な貢献をした人達なわけです。
特にスミス子は、ヘンデルの息子代わりと言っても過言ではない仕事ぶり。
もし彼らがいなかったら、ヘンデルは作曲家として大成しなかったかも?とさえ思います。
まさに、ヘンデルの陰にスミスあり♪ですね。

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やっと「水上の音楽」

2009/11/17 04:39
やっとCD買いました・・・「水上の音楽」!
ベルナルディーニ指揮、アンサンブル・ゼフィロ盤です。

Handel, Telemann: Water Music
Ambroisie
2009-08-25


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こんな有名曲のCDを、何故今まで持ってなかったかというと・・・・・

★ 今さらCD買って聴かなくても、もう全て知っている
★ 有名曲なので、慌てなくても、いつでも買える
★ そもそも、あまり好きな曲じゃない


・・・だからでございます。(笑)
同様の理由で、主に19世紀の有名クラシック曲のCDも、ほとんど持っていません。

私がクラシックに親しんだのは、父がクラシック・ファンで、生まれた時から始終その手の音楽が家で鳴ってたからなんですが、その結果、特にオーケストラ系の有名曲ほど「新味がなくてツマラナイ」と感じてしまうんですね。
確か家には、クリュザンダー版やハーティ版の、「水上の音楽」のレコードがありました。
これらは、現代オーケストラ用の編曲バージョン。
「水上の音楽」が昔から有名なのは、普通のオーケストラのレパートリーでもあったからです。

レコード時代の「水上の音楽」のイメージをイラストにすると、こうなります。


ゾウ、サイ、カバみたいな鈍重な動物が、地面の上をノロノロ歩いてるか、寝そべってる感じ。
見上げれば、空はどんより曇っています・・・・・
私はバロックの「協奏曲」は大好きでしたが、ヘンデルの「水上〜」や、バッハの「管弦楽組曲」は、どうもボッテリしていて、趣味じゃなかったです。



さて時は流れ、お絵描きと音楽が好きな多感な少女も、今や立派な中年女性となりました。(爆)
バロックは、古楽器だのピリオドが当たり前の時代に。

そこでこのアンサンブル・ゼフィロの「水上の音楽」です!
イメージ・イラスト ↓↓↓


変われば変わるモンですね、ほんとに同じ曲!?
水上を吹き抜ける涼風のような、爽快な疾走感と艶のある美しい音が、素晴らしい演奏です!
さわやかと言っても、上滑りしている感じは全くなく、彫るべき所はグサッと食い込むし。
神経質な部分は全くなく、この曲の大らかで野外的な魅力を、ありのまま引き出しています。
ホルンなんか、ほんとに気持良さそうに鳴っていますね〜♪

よく聴くと、色々小細工?してるようでも、それがアクや癖のようには聴こえず、すごく自然に音楽が流れていくのも、好感が持てます。
メンバーの名前を見ると、ほとんどイタリア人のようですが、同じイタリアのイル・ジャルディーノ・アルモニコとは、この点正反対だと思います。

なおこのCD、「水上〜」の間に、テレマンの組曲「水の音楽〜ハンブルクの潮の干満」が入っています。
たくさんある「水上〜」のCDから、このゼフィロ盤を選んだのは、こっちが目的だったりして(笑)。
並べて聴くと、ヘンデルとテレマンのサウンドの違いも感じられて、興味深かったです。
ヘンデルの方が、良くも悪くもガッチリしてますね♪

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語尾切断で「オットン」(爆)

2009/11/13 19:08
★ NHK「まいにちイタリア語」(ラジオ&インターネット)入門編の進度に合わせて、(ヘンデルの)オペラ鑑賞に役立つ話題をお届けしています。

「まいにちイタリア語」の詳しい情報はこちら

第20課、avere mal di 〜 (〜が痛い)で、この mal は male という語の語尾「e」が落ちた形という説明がありました。
アクセントのない語尾の o や e が落ちる現象を、troncamento(トロンカメント〜語尾切断)と言い、「日常語でも非常に良く見かける」と講師の先生はおっしゃっていましたが、クラシックの声楽曲の歌詞など韻文では、もっと頻繁に出てきます。
これを知っていないと、辞書を引いても「こんな単語ないよ?」になってしまうので、ここでしっかり押えておきましょう。

有名な「カロ・ミオ・ベン」(Caro mio ben)を例に、説明します。
出だしの2行は・・・

   Caro mio ben
   credimi almen


ですが、1行目最後の ben は bene(最愛の人)の語尾 e が、2行目最後の almen は almeno(せめて)の語尾 o が落ちたものです。
これにより、各行が強い音節で終わり、発音は「ベン」と「アルメン」で韻を踏むようになりました。
もし語尾切断なしだと、「ベーネ」と「アルメーノ」となり、韻は踏みませんね。
この後、4行目に出てくる「languisce il cor」も、最後の cor は core(「心」の意味 cuore の古い形)の語尾 e が落ちたものです。

bene や core は、語尾切断のあるなしにかかわらず、オペラアリアの頻出語です。
他に良く出てくる語をあげると・・・

seno(胸)⇒ sen   sono(〜である)⇒ son   solo(〜だけ)⇒ sol
cielo(天)⇒ ciel   martiro(苦悩)⇒ martir   mare(海)⇒ mar   
fedele(忠実な)⇒ fedel   crudele(残酷な)⇒ crudel
piacere(喜び)⇒ piacer  amore(愛)⇒ amor   dolore(苦悩)⇒ dolor
amare(愛する)⇒ amar   morire(死ぬ)⇒ morir

なお正確に言うと、落ちるのは語尾が le, lo, re, ro, ne, no の場合です。
foco(「火」の意味 fuoco の古い形)が、foc となることはありません。

また、現代イタリア語では使わないと思いますが、「a」が落ちる場合もあります。

ancora(まだ)⇒ ancor    ognora(いつも)⇒ ognor

例えば、ancor と amor で韻を踏むので、詩には便利なのでしょう。

ヘンデルのオペラ「オットーネ」では、レチタティーヴォでドイツ王オットーネ(Ottone)の語尾 e が落ちて、Otton になっている部分がたくさんあります。
発音は「オットン」なので、何だか可笑しいですね。
ホンマに王か?って思います。(笑)

「オトン」「オカン」って言い方が、少し前に流行りましたが・・・オットン、オッカンっていうのも結構面白いと思います。
いかがでしょうか?

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ケルメスの「溶岩」アリア集

2009/11/11 04:18
ドイツのソプラノ、シモーネ・ケルメスが、18世紀の知られざるオペラ・アリアを録音した、「LAVA」(「溶岩」の意)を聴いてみました。
ヘンデルの曲はありませんが、ヘンデル・オペラと同じ様式の、ナポリ楽派のダ・カーポアリアがたっぷり楽しめます。

Lava - Opera Arias from 18th Century Napoli
Deutsche Harmonia Mundi
2009-09-07


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全12曲中、ペルゴレージの3曲以外は、全て世界初録音となっています。
バルトリの「神へのささげもの」は、カストラート用の曲ばかりでしたが、こちらは女性が歌ったアリアも何曲か。
とは言っても、両盤とも同時代のイタリアもので曲調は似ているし、技巧的なアップテンポの曲と、じっくり歌い上げるスローな曲が交替する構成も同じで、比べて聴くと興味深いです。

ケルメスはソプラノなので、メゾで元々声が太いバルトリよりも、スッキリしたハイトーンが楽しめます。
時々出てくる中低音域では、ちょっと怖い?声も出したりして、変幻自在。
しかしこれだけ聴いていれば、テクニックも十分で迫力ある歌唱でも、、バルトリと比べると、まだまだ音符の上をなぞってるだけみたいな、食い足りなさが残ります。
特に弱音の部分に、もっと表現の抑揚と緊張感が欲しいです。
もっともこれは、バルトリが凄すぎるからで、ケルメスが下手って意味じゃ全然ないですけど。

むしろ、どうしても「歌唱」に耳が奪われてしまうバルトリ盤より、こちらは曲に興味が持てたのが良かったです。
特にポルポラは、バルトリ盤に4曲、ケルメス盤に3曲採られていますが、私には後者の方がずっと気に入りました。
中でも、弦がピチカートで伴奏する「Se non dovesse il piè」は、中庸なテンポのポップな旋律で、あまり類曲がなく印象に残ります。

ところでこの両盤、曲のダブりはありませんが、歌詞が全く同じ曲があります。
バルトリ盤冒頭、ポルポラの「Come nave in mezzo all’onde」と、ケルメス盤6曲目ハッセのそれです。
前者はオペラ「シファーチェ」からシファーチェの、後者はオペラ「ヴィリアーテ」からシファーチェのアリアで、どちらも台本はメタスタージオ・・・おそらく、題材が同じオペラでしかも同一人物なので、作者本人が転用したのでしょう。

波間に漂う船のように・・・で始まる、バロック・オペラに超ありがちな内容ですが、同じ歌詞にそれぞれの作曲家がどう旋律をつけたのか、これも比べると面白いです。
私的には、断然ハッセの方が気に入りましたが。
「同一歌詞で別曲」は、バロック・オペラにたくさんあるはずなので、今度はそういうのを集めたCDなんて期待したいですね。

なおケルメス盤、オケのオゼレ指揮レ・ムジケ・ノヴェは、1パート1人の演奏ですが、これがなかなか素晴らしく、むしろ歌よりも感心したのはこちらでした。
実にキビキビ&爽快に切り込み、少人数なのに量感もタップリです。
特に、第1ヴァイオリンのエンリコ・カサッツァは、パート内で「合わせる」必要がない故か、ビオンディ顔負け?の弾きっぷり!
第2ヴァイオリンには、Michio Isaji・・・と、日本人らしき名前もあります。
これは応援せねば♪

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バルトリの「神へのささげもの」

2009/11/06 23:22
大理石像を模したセミヌードのジャケットで話題の、チェチーリア・バルトリ「神へのささげもの〜カストラートのためのアリア集」を聴いてみました。

神へのささげもの~カストラートのためのアリア集(初回限定盤)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2009-11-04
バルトリ(チェチーリア)


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HMVの情報ページ(輸入・限定盤)はこちら
HMVの情報ページ(輸入・通常盤)はこちら

この商品は通常盤と限定盤、さらにそのそれぞれに国内盤と輸入盤があり、内容・値段が色々なので、最初に説明しておきます。
値段の高い限定盤には、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」を含む3曲(約20分)が入ったボーナスCDと、100ページ(英独仏語合計のページ数です)のオールカラー&図版入りの「カストラート大事典」が付いています。

この事典は、カストラートと関連のある語句・地名・人名などをアルファベット順に並べ、ある時は真面目に、またある時は皮肉たっぷりに?解説しているものです。
文の内容は英独仏でダブっていますが、図版はすべて別で、例えばファリネッリの肖像画は、英独仏の各ページで、違ったものが載っていました。
食事中や、気の弱い男性は見ない方がいい図版も結構あり、なかなか楽しめます。(爆)
気になる?カストラートの下半身事情など書いてある項目も。

私が買ったのは、輸入盤の限定盤で、同じ輸入の通常盤より600円ほど高かった(←買い方による)ですが、余分に払った意味は十分あると感じました。
調べてみると、国内盤は通常盤3000円、限定盤3500円ですが、対訳は歌詞だけで、大事典の日本語訳は付いてないようです。
なのでこれから買おうという方は、その辺を良く考えて、どれにするかお決め下さい。

さて「ふむふむ」「ほう・・・」「ヒエ〜〜〜ッ!」などと事典を見ながら、先にボーナスCDの方をプレーヤーにかけたら、いきなりオケのイル・ジャルディーノ・アルモニコ(以下IGA)が最強音でガッ!と出てきたので、ブッ飛びました!
続くバルトリの豪快な歌いっぷりも、女を捨ててるようなすさまじさ。(爆)
ファリネッリの18番だった技巧的なアリアですが、並の歌手なら単なる16分音符の羅列に終わるコロラトゥーラの部分も、彼女が歌うと生き物のような生々しさがあります。
IGAとの息もピッタリで、とにかく両者とも熱く燃えており、ただただ圧倒されます。

一転して、2曲目のオンブラ・マイ・フは、弱音のコントロールが見事な独特の解釈で、聴き慣れた曲ですがとても新鮮でした。
その後には、細かな装飾を付けて情感たっぷりに歌い上げる、ジャコメッリのアリアが続きます。

本編CDの方も、概ね技巧的なアップテンポの曲とスローな曲が交替する構成で、ポルポラ、グラウン、カルダーラなどが当時のカストラートのために書いた、世界初録音のアリアが続きます。
どこでブレスしてるの??みたいな難易度の高い曲も、完全に自分のものにして歌い切っているのはさすがですね。
一瞬たりとも緩みのないIGAの、強烈なコントラストを伴ったオケがこれに付いてるのですから、真面目に聴いていると疲れますが、ここまでやればもう見事と言う他はないです。

ただこの種の、18世紀オペラの珍しいアリアを集めたCD、もうかなり聴いていますが、「まあまあいい曲」はあっても「大好き〜!」っていう曲には、あまり当りませんね。
波間に漂う船とか、鳥の鳴き声を模したアリアとか、パターンも見えてきたし。
このCDにしても、演奏がいいので楽しめますが、陰影が足りないとか旋律にひねりが欲しいなど、曲には少々不満があります。

この点ヘンデルって、同時代の他の作曲家と比べると、頭ひとつ抜けてる気がするんですよ。
やはり彼は、旋律や和声、曲の展開において、持ってる引き出しが多いと感じます。
そういうヘンデルと、最も有名なカストラート、ファリネッリがコラボできなかったのは、本当に残念だなあと思ったことでした。

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「サムソン」クリストファーズ盤

2009/11/03 17:06
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson)、とりあえず愛聴しているのはクリストファーズ盤です。

Handel - Samson / The Sixteen, Christophers
Coro
2003-01-01
Handel


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明るく柔らかな響きが美しい、とても聴きやすい演奏です。
歌手も皆よく通る声で滑らかに歌い、自然体でドラマが進行していくので、聴く方も構えることなく物語の流れに乗っていけます。
CD3枚通すと200分以上ある、かなりの長丁場ですが、「聴き疲れしない」のはこの盤の長所でしょう。

「サムソン」は、ヘンデルの生前とても人気があり、何度も再演されていますが、長すぎた初演版はその後手が入れられ、多少は短くなっているそうです。
この盤は、後にカットされた部分も含め、初演時のバージョンをほぼ再現しています。
古楽演奏としては、かなりユルい方だと思いますが、通して聴いてもダレた感じはありません。
素直な演奏ゆえでしょうか、別にクリスチャンでなくても、聴き終わると「サムソン、死んじゃったけどやっぱすごい英雄だな〜♪」なんて、ごく自然に思います。(笑)

・・・・・と、一応は気に入ってる演奏ですが、何度も聴いているうちに、物足りない面も出てきました。
★ 柔和なサウンドが、男性的なサムソンのイメージと合わない
★ 喜怒哀楽のコントラストや、登場人物の個性がもっと欲しい
・・・・・などです。

特に第3部は「サムソン、決死の覚悟」⇒「神殿崩壊」⇒「サムソンの死と弔い」⇒「英雄サムソンと神を称える歓喜の歌」・・・と、死ぬの生きるの泣くの喜ぶのと上下が激しいのに、相も変わらずお上品な「美しい」演奏で、とてもサムソンを含め3千人が死んでるとは思えません。
サムソンが神殿を壊す時の、ペリシテ人の「恐怖と混乱のシンフォニー」も、台本を見ずにボーッと聴いていれば、特に何も気づかず過ぎてしまうでしょう。

ペリシテ人の合唱の猥雑・軽薄さ、美女デリラの官能性、悪漢ハラファの憎たらしさ・・・下品にならない程度に、もっと誇張してもいいと思います。
一応、ヘンデルの作品自体がそう書かれているので、素直に演奏しても伝わるものは伝わるとは言え、やはりもう少し何かやって欲しかったですね。
まあイギリス古楽勢が、何でもソツなくこなすけど、中庸ゆえ食い足りないのは、毎度のことですが。

なお現在「サムソン」の国内盤は、故カール・リヒター指揮のもの(68年録音)だけが入手可能です。
(私はかつてリヒターのファンだったので)15年以上前、彼のCDをかなり集めましたが、「サムソン」なんて録音してたことさえ知りませんでした。
彼のような、往年の名指揮者はコレクターがいるので、それを当てこんでの発売でしょうけど、現役演奏家の新録音が国内盤で出ないのに、もう亡くなって何年も経ってる演奏家のものが、「名盤」と謳い何度も意匠替えして出てくる現象、何とかならないんでしょうか?

私が「サムソン」が好きなのは、登場人物の心理が丁寧に書かれた台本に拠るところも大きいのです。
さらに、当時のこの作品の成功も、台本の出来と無関係ではないはず。
(ロンドンの聴衆は、イタリア語のオペラは台本に無頓着だったが、オラトリオは英語なので、はるかに理解して聴いていた)
現状、辞書を引き引き台本を読んでますが、もしも「英語全然わかんないよ」という方が、輸入盤「サムソン」を音楽だけで聴いた場合、ただ長くてつまらないと感じる可能性もあります。
こういう曲こそ、対訳付き国内盤を出して欲しいんですけどね。

今さら、リヒターの「サムソン」を買って聴こうとは思わないしな・・・。
もっとも彼のことだから、古い演奏スタイルとはいえ、要所で本質を捉えた鋭い解釈をしているのかもしれません。
晩年目を患ったリヒター、もし心臓病で急逝しなかったら、その後失明してたかもしれず、「サムソン」の録音があったなんて、妙な符合ですが。

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サムソン、大逆転の聴きどころ

2009/10/31 03:19
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson)は、4部分から成る序曲が終わると、ダゴン神の祭りで歌い騒ぐペリシテ人達と、牢につながれ打ちひしがれたサムソンの絶望的な様子が、音楽で対照的に描かれます。
ペリシテ人達の合唱は明るく陽気で、神の栄光を象徴するトランペットが、華やかに鳴り響きます。
でも少し軽薄な印象があるのは、「陽気の人、ふさぎの人、中庸の人」の「陽気組」(ネアカ軍団?)の曲と似てるでしょうか。

一方サムソンは、怪力にまかせてやりたい放題?だった過去はどこへやら、有名なアリア「Total eclipse!」では、「太陽も月も星も、私には闇だ」と、盲目になり光のない世界に生きる、孤独と絶望を歌います。
「マッチョな分、頭はカラッポ」的イメージのサムソンですが、このオラトリオでは終始内省的で、知的な印象さえ受けます。
やはり彼は、「英雄」として描かれているわけですね。
父マノアも、神の力が離れたサムソンの哀れな姿を見て、親として何ともやるせない気持でいます。

第2部では、サムソンを騙したことを謝り、復縁を迫る美女デリラが若い侍女達と共にやって来ます。
デリラの「With plaintive notes」は、夫婦が仲睦まじいことで有名なコキジバトに例えて、独り身の淋しさを歌う、ヴァイオリンの可憐なオブリガート付きのアリアです。
彼女達、結構何曲も歌って粘りますが(笑)、サムソンは決してデリラを許しません。
次にやって来るペリシテ人の悪漢ファラファは、ヘンデル・オペラの悪役を彷彿とさせるバスで、サムソンをあざける意地の悪いやりとりが面白いです。

第3部で、サムソンの祈りが神に届き、再び力(最後にして最大の)を得た彼が神殿を壊すシーンは、シンフォニアで描写されます。
その後使者がミカとマノアの元に来て、事の次第を報告、亡くなったサムソンを弔う葬送行進曲が流れ、イスラエルの民達が英雄の死を悼む歌を歌います。
このへん、実にシリアスな雰囲気・・・タイトル役が死んでるのだから当然ですが。

しかし、普通ならここで終わるのに、そうでないのがヘンデルなんだな〜!(笑)
「サムソンはその生も死も英雄的だった」とマノアが、「最後までサムソンを見捨てなかった我々の神を賛美しよう」と友人ミカが言うに及んで、一気にオラトリオはメチャ明るい最終シーンへとなだれ込みます。
ヘンデルのソプラノ・アリア集に良く入っている、輝かしいトランペット付きの「Let the bright Seraphim」はここで歌われるんですね!
初めて「サムソン」の全曲を聴いた時、一番印象的だったのはそれでした。
単独でこのアリアだけを聴くのとは、やはり感興が違います

さらに「ヘンデル、上手いッ!」と思うのは、オラトリオの最初でペリシテ人の合唱に付いていたトランペットが、ここでイスラエル側に付いていること。
神の栄光と勝利を象徴するトランペットの、見事な鞍替え!
いくらイスラエルの宿敵ペリシテ人とはいえ、3千人死んでるのにハッピーエンドはなかろうと思いますが、そこはそれ劇場音楽家ヘンデルは「お客様を暗い気持で家路につかせない」のです。

というわけで、
やったね、サムソン!お前はほんまにヒーローや!!
・・・・と拍手パチパチ、大逆転のカタルシスがたっぷり味わえるオラトリオです♪

(CDの紹介もするつもりでしたが、長くなったので次回にします)

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