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ヘンデルを もっと楽しむ♪
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== 2009年はヘンデル没後250年 ==
「メサイア」「水上の音楽」だけじゃない、ヘンデルをもっと楽しむための情報と読み物をお届けします♪
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バルトリの「神へのささげもの」

2009/11/06 23:22
大理石像を模したセミヌードのジャケットで話題の、チェチーリア・バルトリ「神へのささげもの」を聴いてみました。

神へのささげもの~カストラートのためのアリア集(初回限定盤)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2009-11-04
バルトリ(チェチーリア)


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HMVの情報ページ(輸入・限定盤)はこちら
HMVの情報ページ(輸入・通常盤)はこちら

この商品は通常盤と限定盤、さらにそのそれぞれに国内盤と輸入盤があり、内容・値段が色々なので、最初に説明しておきます。
値段の高い限定盤には、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」を含む3曲(約20分)が入ったボーナスCDと、100ページ(英独仏語合計のページ数です)のオールカラー&図版入りの「カストラート大事典」が付いています。

この事典は、カストラートと関連のある語句・地名・人名などをアルファベット順に並べ、ある時は真面目に、またある時は皮肉たっぷりに?解説しているものです。
文の内容は英独仏でダブっていますが、図版はすべて別で、例えばファリネッリの肖像画は、英独仏の各ページで、違ったものが載っていました。
食事中や、気の弱い男性は見ない方がいい図版も結構あり、なかなか楽しめます。(爆)
気になる?カストラートの下半身事情など書いてある項目も。

私が買ったのは、輸入盤の限定盤で、同じ輸入の通常盤より600円ほど高かった(←買い方による)ですが、余分に払った意味は十分あると感じました。
調べてみると、国内盤は通常盤3000円、限定盤3500円ですが、対訳は歌詞だけで、大事典の日本語訳は付いてないようです。
なのでこれから買おうという方は、その辺を良く考えて、どれにするかお決め下さい。

さて「ふむふむ」「ほう・・・」「ヒエ〜〜〜ッ!」などと事典を見ながら、先にボーナスCDの方をプレーヤーにかけたら、いきなりオケのイル・ジャルディーノ・アルモニコ(以下IGA)が最強音でガッ!と出てきたので、ブッ飛びました!
続くバルトリの豪快な歌いっぷりも、女を捨ててるようなすさまじさ。(爆)
ファリネッリの18番だった技巧的なアリアですが、並の歌手なら単なる16分音符の羅列に終わるコロラトゥーラの部分も、彼女が歌うと生き物のような生々しさがあります。
IGAとの息もピッタリで、とにかく両者とも熱く燃えており、ただただ圧倒されます。

一転して、2曲目のオンブラ・マイ・フは、弱音のコントロールが見事な独特の解釈で、聴き慣れた曲ですがとても新鮮でした。
その後には、細かな装飾を付けて情感たっぷりに歌い上げる、ジャコメッリのアリアが続きます。

本編CDの方も、概ね技巧的なアップテンポの曲とスローな曲が交替する構成で、ポルポラ、グラウン、カルダーラなどが当時のカストラートのために書いた、世界初録音のアリアが続きます。
どこでブレスしてるの??みたいな難易度の高い曲も、完全に自分のものにして歌い切っているのはさすがですね。
一瞬たりとも緩みのないIGAの、強烈なコントラストを伴ったオケがこれに付いてるのですから、真面目に聴いていると疲れますが、ここまでやればもう見事と言う他はないです。

ただこの種の、18世紀オペラの珍しいアリアを集めたCD、もうかなり聴いていますが、「まあまあいい曲」はあっても「大好き〜!」っていう曲には、あまり当りませんね。
波間に漂う船とか、鳥の鳴き声を模したアリアとか、パターンも見えてきたし。
このCDにしても、演奏がいいので楽しめますが、陰影が足りないとか旋律にひねりが欲しいなど、曲には少々不満があります。

この点ヘンデルって、同時代の他の作曲家と比べると、頭ひとつ抜けてる気がするんですよ。
やはり彼は、旋律や和声、曲の展開において、持ってる引き出しが多いと感じます。
そういうヘンデルと、最も有名なカストラート、ファリネッリがコラボできなかったのは、本当に残念だなあと思ったことでした。

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「サムソン」クリストファーズ盤

2009/11/03 17:06
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson)、とりあえず愛聴しているのはクリストファーズ盤です。

Handel - Samson / The Sixteen, Christophers
Coro
2003-01-01
Handel


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明るく柔らかな響きが美しい、とても聴きやすい演奏です。
歌手も皆よく通る声で滑らかに歌い、自然体でドラマが進行していくので、聴く方も構えることなく物語の流れに乗っていけます。
CD3枚通すと200分以上ある、かなりの長丁場ですが、「聴き疲れしない」のはこの盤の長所でしょう。

「サムソン」は、ヘンデルの生前とても人気があり、何度も再演されていますが、長すぎた初演版はその後手が入れられ、多少は短くなっているそうです。
この盤は、後にカットされた部分も含め、初演時のバージョンをほぼ再現しています。
古楽演奏としては、かなりユルい方だと思いますが、通して聴いてもダレた感じはありません。
素直な演奏ゆえでしょうか、別にクリスチャンでなくても、聴き終わると「サムソン、死んじゃったけどやっぱすごい英雄だな〜♪」なんて、ごく自然に思います。(笑)

・・・・・と、一応は気に入ってる演奏ですが、何度も聴いているうちに、物足りない面も出てきました。
★ 柔和なサウンドが、男性的なサムソンのイメージと合わない
★ 喜怒哀楽のコントラストや、登場人物の個性がもっと欲しい
・・・・・などです。

特に第3部は「サムソン、決死の覚悟」⇒「神殿崩壊」⇒「サムソンの死と弔い」⇒「英雄サムソンと神を称える歓喜の歌」・・・と、死ぬの生きるの泣くの喜ぶのと上下が激しいのに、相も変わらずお上品な「美しい」演奏で、とてもサムソンを含め3千人が死んでるとは思えません。
サムソンが神殿を壊す時の、ペリシテ人の「恐怖と混乱のシンフォニー」も、台本を見ずにボーッと聴いていれば、特に何も気づかず過ぎてしまうでしょう。

ペリシテ人の合唱の猥雑・軽薄さ、美女デリラの官能性、悪漢ハラファの憎たらしさ・・・下品にならない程度に、もっと誇張してもいいと思います。
一応、ヘンデルの作品自体がそう書かれているので、素直に演奏しても伝わるものは伝わるとは言え、やはりもう少し何かやって欲しかったですね。
まあイギリス古楽勢が、何でもソツなくこなすけど、中庸ゆえ食い足りないのは、毎度のことですが。

なお現在「サムソン」の国内盤は、故カール・リヒター指揮のもの(68年録音)だけが入手可能です。
(私はかつてリヒターのファンだったので)15年以上前、彼のCDをかなり集めましたが、「サムソン」なんて録音してたことさえ知りませんでした。
彼のような、往年の名指揮者はコレクターがいるので、それを当てこんでの発売でしょうけど、現役演奏家の新録音が国内盤で出ないのに、もう亡くなって何年も経ってる演奏家のものが、「名盤」と謳い何度も意匠替えして出てくる現象、何とかならないんでしょうか?

私が「サムソン」が好きなのは、登場人物の心理が丁寧に書かれた台本に拠るところも大きいのです。
さらに、当時のこの作品の成功も、台本の出来と無関係ではないはず。
(ロンドンの聴衆は、イタリア語のオペラは台本に無頓着だったが、オラトリオは英語なので、はるかに理解して聴いていた)
現状、辞書を引き引き台本を読んでますが、もしも「英語全然わかんないよ」という方が、輸入盤「サムソン」を音楽だけで聴いた場合、ただ長くてつまらないと感じる可能性もあります。
こういう曲こそ、対訳付き国内盤を出して欲しいんですけどね。

今さら、リヒターの「サムソン」を買って聴こうとは思わないしな・・・。
もっとも彼のことだから、古い演奏スタイルとはいえ、要所で本質を捉えた鋭い解釈をしているのかもしれません。
晩年目を患ったリヒター、もし心臓病で急逝しなかったら、その後失明してたかもしれず、「サムソン」の録音があったなんて、妙な符合ですが。

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サムソン、大逆転の聴きどころ

2009/10/31 03:19
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson)は、4部分から成る序曲が終わると、ダゴン神の祭りで歌い騒ぐペリシテ人達と、牢につながれ打ちひしがれたサムソンの絶望的な様子が、音楽で対照的に描かれます。
ペリシテ人達の合唱は明るく陽気で、神の栄光を象徴するトランペットが、華やかに鳴り響きます。
でも少し軽薄な印象があるのは、「陽気の人、ふさぎの人、中庸の人」の「陽気組」(ネアカ軍団?)の曲と似てるでしょうか。

一方サムソンは、怪力にまかせてやりたい放題?だった過去はどこへやら、有名なアリア「Total eclipse!」では、「太陽も月も星も、私には闇だ」と、盲目になり光のない世界に生きる、孤独と絶望を歌います。
「マッチョな分、頭はカラッポ」的イメージのサムソンですが、このオラトリオでは終始内省的で、知的な印象さえ受けます。
やはり彼は、「英雄」として描かれているわけですね。
父マノアも、神の力が離れたサムソンの哀れな姿を見て、親として何ともやるせない気持でいます。

第2部では、サムソンを騙したことを謝り、復縁を迫る美女デリラが若い侍女達と共にやって来ます。
デリラの「With plaintive notes」は、夫婦が仲睦まじいことで有名なコキジバトに例えて、独り身の淋しさを歌う、ヴァイオリンの可憐なオブリガート付きのアリアです。
彼女達、結構何曲も歌って粘りますが(笑)、サムソンは決してデリラを許しません。
次にやって来るペリシテ人の悪漢ファラファは、ヘンデル・オペラの悪役を彷彿とさせるバスで、サムソンをあざける意地の悪いやりとりが面白いです。

第3部で、サムソンの祈りが神に届き、再び力(最後にして最大の)を得た彼が神殿を壊すシーンは、シンフォニアで描写されます。
その後使者がミカとマノアの元に来て、事の次第を報告、亡くなったサムソンを弔う葬送行進曲が流れ、イスラエルの民達が英雄の死を悼む歌を歌います。
このへん、実にシリアスな雰囲気・・・タイトル役が死んでるのだから当然ですが。

しかし、普通ならここで終わるのに、そうでないのがヘンデルなんだな〜!(笑)
「サムソンはその生も死も英雄的だった」とマノアが、「最後までサムソンを見捨てなかった我々の神を賛美しよう」と友人ミカが言うに及んで、一気にオラトリオはメチャ明るい最終シーンへとなだれ込みます。
ヘンデルのソプラノ・アリア集に良く入っている、輝かしいトランペット付きの「Let the bright Seraphim」はここで歌われるんですね!
初めて「サムソン」の全曲を聴いた時、一番印象的だったのはそれでした。
単独でこのアリアだけを聴くのとは、やはり感興が違います

さらに「ヘンデル、上手いッ!」と思うのは、オラトリオの最初でペリシテ人の合唱に付いていたトランペットが、ここでイスラエル側に付いていること。
神の栄光と勝利を象徴するトランペットの、見事な鞍替え!
いくらイスラエルの宿敵ペリシテ人とはいえ、3千人死んでるのにハッピーエンドはなかろうと思いますが、そこはそれ劇場音楽家ヘンデルは「お客様を暗い気持で家路につかせない」のです。

というわけで、
やったね、サムソン!お前はほんまにヒーローや!!
・・・・と拍手パチパチ、大逆転のカタルシスがたっぷり味わえるオラトリオです♪

(CDの紹介もするつもりでしたが、長くなったので次回にします)

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サムソンの壮絶な最期

2009/10/26 13:08
美女デリラの計略にはまり、ペリシテ人達に目玉をえぐりだされた怪力サムソンの物語、後半です。
これまでのお話はこちら

盲目となったサムソンは、ペリシテの都ガザ(パレスチナ情勢のニュースに出てくる、あのガザです)に連れて行かれ、牢屋に入れられます。
そこでサムソンは、青銅の足かせをはめられ、石臼で粉を挽く強制労働の毎日。
自由奔放に怪力を誇示できた、かつての英雄の面影は全くありません。

さて、ペリシテの神ダゴンを祝うお祭りの日、サムソンは見せ物として引きずり出され、陽気に歌い騒いでいるペリシテ人の笑いものになっています。
ついにキレたサムソン、ここで決死の行動に出るのですが・・・

ヘンデルのオラトリオ「サムソン」の台本は、聖書から直接構成したのではなく、J.ミルトンの「闘士サムソン」を元に、N.ハミルトンが書いたものです。
盲目となったサムソンの心境や、彼を取り巻く人々とのやり取りが克明に描写されていて、聖書の簡素な記述よりもずっと面白いんですね。
(なお、J.ミルトン自身も失明のため、口述筆記だそうです)
ではここで、オラトリオ「サムソン」の台本から簡単に紹介すると・・・

まず牢屋のサムソンの所に、友人のミカ(女みたいな名前ですが、男です)がやってきます。
台本での彼は、「おまえのお父さん、マノアがやって来るよ。慎重な足取りで、わずかに残った髪も真っ白だ」などと、サムソンの「目の代わり」になると同時に、(オペラのような)視覚情報がないオラトリオの聴衆にも状況説明をする、両方の役割を兼ねています。

サムソンは、自分の愚かさゆえに盲目となってしまったことを激しく後悔しており、光を失った今、生きていても無意味だと、絶望のどん底にいます。
父マノア共々、神の力が離れてしまった我が身の、惨めな状態を嘆くばかり。

そこへ何と!災いの張本人デリラ(台本では、サムソンの妻だったことになっています)が訪ねて来ます。
1人残されて初めて、サムソンへの本当の愛に気づいた彼女は、彼に許しを請い、ここを出てまた一緒に暮らしましょうと言い出します。

「聞いて下さい、愛の言葉を」
「光を失うことが、人生を失うことではありません」
「残された感覚で、喜びを味わうのです」

・・・・・と、結構まともな言葉で、若い侍女達と一緒にサムソンを説得しますが、サムソンはよほど彼女(というか女に?)に懲りているのか、全く同意しません。
それどころか「こうして牢屋で鎖に繋がれていれば、二度とオマエに騙されて酷い目にあうこともなかろう」と、自虐的反論までする始末。
結局デリラとの復縁はならず、彼女は怒って帰ってしまいます。

次にやってきたのは、ペリシテの(自称?)闘士ハラファ。
「お前がロバの骨で千人を殴り殺した、あの場所にもし俺がいたら、オマエの死骸をロバの隣に横たえてやったんだがな」
「お前が目をえぐり出されたんで、勝つチャンスを失ったよ。見えない奴と戦うなんざ、みっともないしな」
・・・・・・と、牢中のサムソンを前に、言いたい放題。
そしてダゴンの祭りのために、その惨めな姿をさらしに出て来い!と、意地悪にけしかけます。
サムソン、最初は渋っていましたが、体内に力がみなぎるのを密かに感じて、牢を出て行きます。
実は、ペリシテ人に丸坊主にされた彼の髪の毛(←怪力の源)、また少しずつ伸び始めていたのでした!

以下、聖書に戻りますが・・・
ダゴンの神殿は、中に入りきれない人達が屋上にあがって見物するほど、ごった返していました。
サムソンは「神よ、私に今一度だけ力をください」と祈った後、神殿の大黒柱をさぐりあて、その2本に両手を持たせかけました。 そして
ペリシテ人め!俺と一緒に死んじまえ〜〜〜〜ッ!
と、力一杯柱を押すと・・・


神殿は一気に崩落、サムソンは3千人以上のペリシテ人と共に、帰らぬ人となったのでした。
「彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった」と、士師記第16章30節には書かれています。
(日本聖書協会刊 新共同訳)

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怪力サムソンの秘密とは

2009/10/22 12:20
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson 1743年初演)は、旧約聖書の「士師記」第13〜16章に出てくる、怪力サムソンの最期を扱っています。
「士師」とは、まだイスラエルに王がいなかった時代に、イスラエルの民を導き敵から救済する、神に選ばれた指導者のことです。
やはりヘンデルがオラトリオを書いている、デボラ(←女性です!)やエフタも、士師でした。

怪力サムソンと美女デリラの恋愛、そしてその顛末は、サン=サーンスのオペラにもなっています。
しかしヘンデルの「サムソン」では、彼が怪力を失い牢に閉じ込められた所から始まります。
つまり一連の物語のうち、後半だけを扱ってるんですね。
ですがそれ以前のサムソンを知っていないと、彼の無念さも最期の大逆転!も実感しにくいので、今回は聖書一のマッチョ男・サムソンの、豪快なエピソードを紹介します。

サムソンはダン族(イスラエルの12部族の1つ)のマノアという男の息子で、生まれながらのナジル人(びと)でした。
ナジル人とは「神に捧げられ、聖別された人」・・・と書くと、さぞかし品行方正かと思いますが、それは大きな誤解。
以下、聖書によれば・・・

★ 宿敵ペリシテ人の娘に惚れたサムソン、両親と共に彼女の家に挨拶に行く途中、襲ってきたライオンを素手で引き裂いた!
★ 婚礼の宴会で客に出したクイズで、賞品の服を調達するために、何の関係もない30人の人を殺して、服を剥ぎ取った!
★ ペリシテ娘の父親とケンカして怒り、300匹のジャッカルの尾に松明をくくりつけ、火をつけてペリシテ人の畑に送り込んで、焼け野原にした!
★ 捕らえられ、ペリシテ人に突き出された時、縄を霊力で焼き切った後、落ちていたロバの骨を振り回して、千人を打ち殺した!


・・・・・いくら当時、イスラエルがペリシテ人の支配に苦しんでいたとはいえ、これじゃサムソンて、単なる無差別殺人鬼ですよね?
当然ながらペリシテ人達は、何とかサムソンをやっつけたい、と思い始めます。
無敵のサムソンでしたが、彼にも弱点がありました。
それは女!
サムソン、今度はデリラという美女に惚れます。

そこでペリシテ人の領主達はデリラに、「サムソンをたぶらかして、怪力の秘密を探り出してくれ。上手く行ったら、銀貨千百枚!」と持ちかけます。
ところがこのデリラも、顔はいいけど頭は悪いのか(笑)、直接サムソンに「あなたを縛って無力にするには、どうすればいいの?」と聞く始末。
サムソンはその度に「乾いていない新しい弓弦(ゆみづる)7本で縛れ」「髪の毛を織機の縦糸と共に織り込め」などなど、適当な嘘で答えます。

しかし、言われた通りにやっても、少しもサムソンを無力にできません。
デリラは「どうして本当のことを教えてくれないの!私を愛してるなんて嘘なんでしょう!ひどいわ!!私をこんなに苦しめて!!!」と、毎日毎夜しつこくサムソンに迫ります。
そして、愛する女の執拗な懇願に、耐え切れなくなったサムソン、ついに怪力の秘密をしゃべってしまいます。
それは・・・・・・


神に捧げられているナジル人は、頭にカミソリを当ててはいけない約束があります。
生まれた時から伸ばし続けている、サムソンの長い髪・・・これを切れば、彼の怪力はどこへやら、並の人間になってしまうのでした。
デリラは、サムソンが膝枕で眠っている隙に、人を呼んで彼の髪を剃らせます。
そして、やって来たペリシテ人達に向かって行ったサムソンは・・・いつもの怪力を全く発揮できずに、いとも簡単に縄で縛られてしまったのでした。
しかも、両目をえぐり出されるオマケ付き!

こうして盲目となったサムソンは、ペリシテ人の街ガザに連れられて行き、牢屋に放り込まれたのです。
ああ哀れ、怪力サムソン・・・以下、次回に続く♪

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「愛の園」でウットリ・・・♪

2009/10/18 22:37
前回紹介したヘンデルのセレナータ、「アーチ、ガラテアとポフリフェーモ」つながりで思い出した、アレッサンドロ・スカルラッティ(チェンバロ曲で有名なドメニコの父、以下「アレッサンドロ」とだけ書きます)の作品がありました。
ヘンデルが多大な影響を受けた、ナポリ楽派の中心的作曲家アレッサンドロのことは、いずれ書かなくてはと思っていたので、ちょうど良い機会です。

セレナータ「愛の園」(Il Giardino d'Amore)

クレマンシック・コンソート盤、HMVの情報ページはこちら

10年ほど前、古楽の本で紹介されていて、「愛の園・・・何て素敵な題名なの♪」と、それだけでCDを買った曲です。
(リンク先の盤は、当時とは別レーベルで再発売されているものです)
アレッサンドロが残した30ほどのセレナータの代表作で、題名から想像する通りの甘く官能的な魅力に溢れています。

登場人物は、ヴェネレとアドーネ・・・と書くと???ですが、英語に直すと美の神ヴィーナスと、彼女に愛された美少年アドニス。
これといった筋はなく、離れ離れになり相手を探し求めていた2人が、愛の園を迷い歩いた末に出会って愛の喜びを歌う、50数分の作品です。
トランペットが高らかに鳴るシンフォニアに始まり、レチタティーヴォとアリアの交替で進行、ある程度ヘンデルのオペラやカンタータに親しんだ人なら、すんなりなじめると思います。
1700〜1705頃の作曲とされ、「アーチ・・・」が1708年なので、時期的にも近いですね。

とりわけ印象的なのは、アドニスが歌う「Più non m'alletta e piace」。
「優しくさえずりながら、枝から枝へと飛ぶナイチンゲール」の歌詞に合わせて、ソプラニーノ・リコーダーのメランコリックなオブリガートと、鳥のさえずりを模した水笛の効果音が付く魅惑的なアリアで、「愛の園」の題名は決して大袈裟ではありません。
短調の曲ですが、ほのかな甘さと色香をたたえ、しかも気品を保った美しさは、ちょっとヘンデルにも真似できない、アレッサンドロならではの世界だと思います。

ところでこのセレナータ、ヘンデルの「アーチ・・・」同様、男性役アドニスがソプラノで、女性のヴィーナスがそれより低いアルト(又はメゾ?)になっています。
色々調べると、男性役は当時のソプラノ・カストラート用に書かれたそうです。
これで女声もソプラノだと、音域が被ってしまうので、ヴィーナスの方が低くなってるのですね。
ヘンデルの「アーチ・・・」もそういう事情で、女性役ガラテアがアーチより低い音域なのかもしれません。

この点、前述のクレマンシック盤は、アドニスが女性ソプラノでヴィーナスがカウンターテナーになっていて、役と歌手の性が全く逆・・・!
総合的には良い演奏なんですが、これだけちょっと残念です。
もっともカウンターテナーのレイギンは、ヒョロヒョロした頼りない?歌い方で、ほとんど「男」を感じませんが。
(かといって「ヴィーナス」でも全くないし・・・)

もう1枚、アレッサンドロ・ストラデッラ・コンソート盤も持っています。
こちらはソプラノとアルト、女性2人で歌っていますが、ヴィーナスが下町のオバチャン風なのが惜しいですね。
どうも美の女神のイメージと合いません。
ですがこのCDは、「テブロ川のほとりで」(Su le Sponte del Tebro)も併録してるのが、ポイント高い!
「テブロ・・・」は、牧人アミンタが失恋から立ち直るまでを歌う、トランペット助奏付きのソプラノ独唱用で、アレッサンドロのカンタータとしては、例外的に古くから録音がある人気作品です。

この「テブロ・・・」と「愛の園」、合わせて70分ほどでCD1枚にちょうど良く、「とりあえずアレッサンドロの1枚モノで、何かいいのない?」には最良の組み合わせと思いますが、なかなか録音がありません。
選ぶのに困るほどあっても、おかしくないと思うんですが・・・。
(ヤーコプスは何をしているのッ!)
現状、数的にはアレッサンドロのCDはかなり出てますが、録音される曲がバラけているので、他に「代表作品」もあげにくいんですよね。

ヘンデルの「水上の音楽」や「メサイア」のように、人気曲が固定化しすぎるのも問題ですが、絞りきれないってのも困るものです。(^ ^;)

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セレナータ「アーチ、ガラテアとポリフェーモ」

2009/10/15 00:13
ヘンデルイタリア時代のセレナータ、「アーチ、ガラテアとポリフェーモ」(Aci, Galatea e Polifemo)を聴いてみました。
激安!Brilliantの2枚組です。

Handel: Aci, Galatea e Polifemo
Brilliant Classics
2008-05-13


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セレナータとは、物語風の内容を持った、やや規模の大きいカンタータのことです。
歌手が役柄を想定した衣装を着たり、絵を描いた背景幕を使うことはありますが、オペラのような演技はしません。
貴族の私邸などの小規模な集まりで、祝賀の際の余興などとして、しばしば夜・屋外で演奏されます。
オペラよりは短く、この作品も85分ほど、惜しくも?CD1枚に収まらなかったんですね。
レコード2枚ってところでしょうか、聴きやすい長さです。

物語は、次のようなシチリアの伝説に拠っています。

羊飼いの青年アーチと、海のニンフ・ガラテアは愛し合っていたが、醜い1つ目巨人族のポリフェーモも、ガラテアに恋をする。
ポリフェーモは嫉妬のあまり、アーチを石で殴り殺してしまう。
しかし、ガラテアが嘆き悲しむのを可哀相に思った神は、アーチの血を美しい川の流れに変えて、永遠にガラテアが彼をいとおしむ事ができるようにした。


シチリアには、このアーチの血が流れているとされる川があり、その地域にはアーチレアーレ、アーチカステッロなどという村が実在するそうです。

さて、ヴィターレ指揮のコントラスト・アルモニコは、ゆったり&ふっくらした、大変耳あたりの良い演奏。
牧歌的な曲調が美しい冒頭の二重唱で、一気に愛の物語に引き込まれます。
若手古楽集団・・・と聞くと、つい「過激演奏か?」と思いますが、ほんとに古楽器なんかいな?と思うくらい。(笑)
後に「リナルド」に転用されたアリアなどもあって、全体にとても親しみやすい雰囲気です。

女性歌手2人は、声の区別がはっきり付くので、聴いていて飽きません。
ただこの作品、アーチがソプラノ、ガラテアがメゾなんですが、逆みたいな感じがするのは私だけ?
少年アーチが、おばさんガラテアに恋した・・・?ように聴こえてしまいます。
悪役ポリフェーモはバスで、とても良く通る低音ですが、ところどころ声がナマっぽかったり、表現が棒になってるのが惜しいかも。
1つ目の怪物を象徴するような、異様に音域が広いアリア「Fra l'ombre e gl'orrori」を、こちらのダルカンジェロ盤と比べると、ダルカンジェロの方が3枚くらい上手ですね。

この作品は結婚祝賀用で、最後には死んだはずのアーチや、悪役ポリフェーモも、ガラテアと一緒に愛を称える三重唱を歌い、ハッピーに終わります。
この辺が、演技をつけないセレナータの、便利なところかもしれません。
1708年の7月、ナポリで初演されましたが・・・こんな曲を実際に現地で、黄昏の海を見下ろす小高い丘の庭園で、美味しいワインとピザをお供に聴いたら、

もうアタシ、このまま死んでもいい・・・♪

って思うほど幸せかもしれないです。 (^ ^;)

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