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「固定ド」はイタリア音名でなく、フリガナ音名である

2017/05/27 22:24
階名(移動ド)学習の障害となっている「固定ド」音名を使った音楽教育を批判すると、「固定ド」はイタリア音名だからと反論されることがあります。
しかし日本の「固定ド」がイタリア音名と別物だということは、こちらのサイトの記事にもあるように明らかです。
これについて、自分でもう少し考えてみました。
何かもうひと押し、「固定ド」陣営?にガツンと言ってやりたい(笑)気持ちがするからです。

   ド レ ミ ファ ソ ラ シ

↑↑↑これってイタリア人に読めます????
カタカナを知らなければチンプンカンプンですよね?

イタリア音名だと主張するなら、Do Re Mi Fa Sol La Si と書かなければ変ではありませんか?
楽典ではそうなっていますよ。
英語やドイツ語の音名は、子供や初心者に発音を教えるため「エフ」「アー」「エス」などとカナを添えることはあっても、「F」「A」「Es」のように原語表記で使うのが普通です。
文中でも「5小節目上声部のツィス音は…」ではなく「Cis」と書きますね?
しかしなぜか Do Re Mi …だけ、カナ表記が広まっているのです。

こうなった理由や経緯はよく分かりません。
階名唱の指導で使っていたカナが流用されたからとか、「ドレミの歌」の影響、幼児・子供向けピアノ教本(「ド」じゃなくて「ど」の場合も!?)の説明がルーツなど、色々考えられるでしょう。
いずれにせよ、日本の文字になった時点でもうイタリア音名ではないと考えるべきだと思います。
「radio」は英語だが「ラジオ」は外来の日本語、みたいな事例です。

そしてこのカナ化したドレミの代表的な用途?が、初心者がよくやる音符の側にドレミを書くことです!
漢字や英単語などに「読み」のフリガナを振るのは日本人特有の行為ですが、それの楽譜バージョンですね。
アルファベットではフリガナにならないので、カナ化したドレミの出番なのでしょう。
(元々カナのハニホ音名がここで利用されなかったのが本当に残念!)
また、フリガナを振らないまでも、脳内で音符をドレミに直して「読んで」いる人がたくさんいますね?

どうも多くの日本人は、楽譜を読むの「読む」を、そこから音を取って歌うとか楽器を演奏して音楽化することでなく、何か言葉的なもの(具体的にはドレミ…)に変換することと勘違いしているようなのです。
楽譜は漢字と違うのに!!!
音楽が図示された楽譜を、そのまま作曲家の指示図として見ればよい(それが一番カンタンで速く読める)のに一々言葉に直すとは!
視唱だけでなく、器楽演奏においても一旦ドレミをかます(笑)ものと思いこんでいる人が多いのは本当に驚きです。
(だったら五線譜なんかやめて、文字譜にすればいいのに!)

そして楽譜の書き込みだろうが脳内フリガナだろうが、一度覚えた(多くはハ長調の)カナの振り方を変えるのは面倒だ、カナの振り方が何通りもあるなんて冗談じゃない!と考える人が、教える方も習う方も大半なのでしょう。
これが「固定ド」の蔓延する思考回路と言えます。
だから「固定ド」音名はフリガナ音名 ←うん、気に入った(笑)♪
ここで特に問題なのは、相対音感の人が「固定ド」教育しか受けてない場合、フリガナ振れても音取れずになることです。
こういうケースは日本に相当あるのではないでしょうか?

そんなこと言ってるがオマエ、階名だって楽譜にカナ振ってるやつ山ほどいるだろ〜〜!
↑↑↑と突っ込まれそうですが、階名は楽曲分析とか音を取るという音楽的目的のためにドレミを賢く利用しているのであって、ドレミの奴隷と化している「固定ド」教育とは、やっていることの意味が全く違うのです。
・ドレミがフリガナでしかない「固定ド」
・ドレミが便利な音楽ツールとなっている「階名」(移動ド)


オマケ:「固定ド」音名を、イタリア音名ではなく「一般呼称」と表現しているサイト
一般呼称!…なるほど、ある意味非常にうまい言い方です。
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読んで歌おう〜講談社文庫「日本の唱歌」(上・中・下)

2017/05/13 18:06
臨時記号なしの旋律が多く、楽譜を階名(移動ド)で読みながらある程度音が取れるようになった人が、練習として歌うのに最適です。

日本の唱歌[上]〜明治篇(163曲)
日本の唱歌[中]〜大正・昭和篇(178曲)
日本の唱歌[下]〜学生歌・軍歌・宗教歌篇(138曲)

よほどの唱歌通か年配の人でなければ、知らない曲の方が多いはず。
曲が分からないまま解説を読んでも面白くありませんので、ぜひ歌ってみましょう!
もちろん楽器に頼らないで、ですよ。
楽器を使わないんだから、寝転がってでも出来ますね(笑)。

またこの本の解説では、ドレミが使ってあれば全て階名で、音名はドイツ語…とキチンと使い分けられています。
このことについて断り書きなどは一切なく、編者はドレミを階名に使うのは当たり前と思ってるんですね。
注:ある時期まで、日本ではそれが常識だったのです!
例えば、ト長調で記譜されている「故郷(ふるさと)」には ───

長音階の文部省唱歌としては珍しく、「ファ」の音が多く出て来るが、それが節にやわらかさを与えて快い。

─── とありますが、これは「固定ド」一辺倒の人には意味不明でしょう。
「固定ド」ではファが一回しか出てこないし、「ファがやわらかい」も階名のドレミだけが持つ独特の感覚だからです。
他にも階名ならではの解説が多数あり、特に古関裕而作曲の「愛国の花」で「シ」の使い方が上手いとあったのには、私も以前からそう感じていたので嬉しくなりました。
なお、佐々紅華 作詞・作曲「毬ちゃんの絵本:(第一)六段の唄」はロ短調で、最後の部分が「ラシレーミレミドシド ラシレミシーラファラ ミーミードシーラ」と、階名がそのまま歌詞になっています!

時代順に見ていくと、日本人が自分達の音感と折り合いをつけながら、西洋の音楽を学ぼうと努力してきた過程がよく分かります。
明治になり学校で洋楽を教えることになったとはいえ、教材は全く無いし指導できる人もおらず、当初は試行錯誤の連続でした。
「螢の光」や「霞か雲か」など、外国の旋律に日本語の歌詞をつけて教材とする一方、雅楽などをやっていた音楽家が、見よう見まねで西洋風の国産唱歌を作ったのです。
「春のやよい」「金剛石」「紀元節」…四分音符が並んでいる単調なリズム、雅楽調の旋律が取って付けたような「ド」で終わるぎこちなさなどを見ると、邦楽しか知らなかった明治人が、洋楽の決まりに従って作曲するのは、相当の困難があったと推察されます。

しかしそれも20年ほど経つと、現在まで歌い継がれている「ふじの山」「われは海の子」など、日本人の手になる名曲が登場してくるのですから、その吸収力の速さには感動さえ覚えます。
その後大正から昭和にかけて、いわゆる「唱歌っぽい」類型に陥ってしまった一面もあるとはいえ、西洋音楽に日本人的な感性を上手く折衷した歌の様式が確立しました。
その頃「よく歌われた」と解説にある曲は、なるほどと思わせる魅力があります。

また、出来がイマイチの唱歌も載っていますが(解説には大抵その旨指摘してあります)、いつしか「消えてしまった」曲を知るのも面白かったです。
やはりいくら文部省や専門家が、良いと信じて作ったものを押し付けても、ウケないものはウケないんですね(笑)。
今でも愛唱されている歌は、詞も曲も良い…大衆の耳や感性によるふるいって、バカにできないと思いました。
ぜひこの本の唱歌をたくさん歌って、それを確かめてみてください。
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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(LFJ)2017、今年も堪能♪

2017/05/07 22:50
ゴールデンウィーク、都心の大音楽イベントとしてすっかり定着したLFJに、今年も行ってきました。
3日間とも少し暑いくらいの晴天で、テンション上がりましたね〜♪
今年のテーマは「ラ・ダンス〜舞曲の祭典」↓↓↓



このところ何年かは、抽選を利用して有料公演のチケットを取っており、「行く日を決める」⇒「適当に時間を空ける」⇒「希望が殺到しそうな公演は避けて」⇒「同じ会場が続かないように」⇒「抽選に外れることも想定して少し多めに」申し込んで、当たった公演に行っています。
テキトー(笑)に選んで後は運任せなので、今年購入できた公演は、演奏者はマリンバの神谷百子さんくらいしか知らないし、曲目も現代物や民族系ローカル曲など、一般的なクラシック音楽とはかなり違うものになってしまいました。
でも結果的にそれが当たりだったんですね!

【132】メキシコ民族音楽の楽団による、バロック音楽と中南米民族音楽をドッキングさせた演目、歌・ダンス付き
【323】マリンバ、パーカッションのソロで、バッハと現代音楽
【336】マンドリン、ギター、コントラバスのトリオで各種の舞曲
【351】マリンバ、ビブラフォンのソロからクァルテットまで、ピアソラや現代音楽


【132】は、バロック・ギターでおなじみのガスパール・サンスやサンティアゴ・デ・ムルシアの曲で始まって、それがいつの間にか民族音楽へと続く構成。
ティプレという、ウクレレのような小型ギターや、低音用に使われていた親指ピアノのお化けみたいな楽器、マリンボルの音が新鮮でした。
終演後、舞台上のマリンボルを見ようと人だかりができていたところに、片付けのために出てきた演奏者が、普通なら楽器を持ってサッと立ち去るところを、わざわざ前に差し出して皆が触れるようにしてくれたんですよ!
子供も大人も、マリンボルの金属のベロ(みたいなところ)をビンボン♪とはじいて「うわ〜」「へえ〜」と驚いていました。

【323】は、いきなりスネアドラムだけ!の楽曲で始まり、バッハの無伴奏チェロ組曲のマリンバ版を挟んで、その次のカンジェロージ「バッド・タッチ」が、今年聴いた中では一番面白かったです。
実はこの曲、ノイズや加工した人声などから成る音(楽)は、あらかじめ録音されたものがスピーカーから出てるだけ。
演奏者(というより演技者?)はそれに合わせて、暗くした舞台上でオレンジ色に光る棒を操ります。
その動きが音(楽)とピッタリ合っているため、まるで光る棒から音が出ているように錯覚する感覚が何とも言えなかったです。

【336】は、マンドリンを生で聴いたのは初めてだったかも!?でしたし、主に伴奏パートでしたがLFJで聴きたくても今までチケットが取れずにいた、クラシックギターの音色も楽しめました。
【351】は、マリンバとビブラフォン2台ずつの四重奏で、大好きなミニマル音楽(ライヒの「マレット・クァルテット」)がプログラムの最後を飾っていたのが嬉しかったです。
やはり生演奏はサウンドに立体感があり、繰り返す音の波に身を任せる陶酔感をタップリ味わえました。

私ももう音楽を聴き始めて長いですし、定番曲の少し良い演奏程度では「ふ〜〜〜ん」で終わってしまうので、今年くらいの変わった編成やプログラムがちょうどいいのかな?と思いました。
毎年LFJのプログラムには、曲目や演奏者が「何これ?誰この人?」なのもチラチラ混じってますが、むしろそのような場合であるほど、つまらないことはやってないですね。
メジャーな公演のチケットを取り損ねてもガッカリするなかれ、本当にLFJならではの聴きモノは、意外なところに隠れているかもしれませんよ。

有料公演の他では、ガラス棟に出店していた古書店で、読みたかった小泉文夫「歌謡曲の構造」を安価でゲットできたのがラッキーでした。
恒例?ソフトクリームの歩き食べや、夕食時には売り切れてることがあるので、早目に食べた屋台のガパオライスやタコライスも美味しかったです。
空き時間に寄った丸の内JPタワーKITTE内に、こんな入場無料の博物館を見つけたのも収穫!(どうして今まで気づかなかったのか!?)
─── ということで、来年の(あるんですよね?)LFJも楽しみです♪
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